日本ホリスティックアカデミーにて、ベーシックコース、マスターコース、年齢退行療法プロフェッショナルコース、前世療法プロフェッショナルコース、ソマティックヒーリング等のすべてのプロフェッショナルレベルのプログラムを修了。米国最大の催眠療法士の非営利団体で
ある米国催眠士協会
(National Guild of Hypnotists)認定ヒプノセラピスト、米国催眠療法協会(American Board of Hypnotherapy)認定ヒプノセラピスト及び
国際催眠連盟(International Hypnosis Federation)認定ヒプノティストとなる。後に米国催眠士協会マスター・インストラクターの村井啓一氏から学び、同協会のインストラクターとしての認定を受ける。さらに、米国催眠療法協会と国際催眠連盟のインストラクターの資格も得る。
また、前世療法の分野では世界的権威である精神科医のブライアン・ワイス博士から直接、米国でプロフェッショナルトレーニングを受ける。更に、催眠を妊娠・出産に応用したヒプノバーシングを米国ヒプノバーシング協会(HypnoBirthing Institute)で学び日本人初のヒプノバーシング・プラクティショナー、および催眠を不妊療法として用いるヒプノファーティリティ・プラクティショナーとなる。2010年には、日本の文化・環境に馴染んだ穏やかで幸せな出産を支援するための組織として日本ヒプノ赤ちゃん協会を設立。
名古屋出身。14歳の頃、人はなぜ生まれてくるのか?私とは一体何者なのか?という疑問を抱く。翌年(1983年)映画のオーディションに合格し芸能界入りする。舞台、映画、テレビドラマ、ラジオ・ナビゲーター、レコード・CD、等の分野で幅広く活躍。12年間の芸能生活の中で様々な人生模様を経験 し、演技はセラピーに通ずると捉えるようになり、より深い潜在意識へと繋がっていく。
25歳で前世療法を体験し、その後の人生に大きな影響を与えられる。そんな中、ルドルフ・シュタイナーの人智学や、心理学、精神世界に興味を抱き、さらに自己探求を深め、結婚を機に渡米。アメリカでの生活の中で、インナーチャイルド、アダルトチルドレンにも興味を持ち、二児の子育てに奔走しながら自らを癒し続ける。そして インドヨガに目覚め、日々瞑想を持続する。
2005年、映画活動を再開するも、乳がんが発覚。日本に帰国し治療に専念する。2年間様々な乳がん治療の方法を実践して乳がんを克服。その間に心と身体と魂のバランスの重要性を身をもって経験する。自らががんを発症し、がんを克服した体験から、人の内奥には自らを健全な状態へと戻していく大いなる治癒力が備わっていることを知る。そしてヒプノセラピーはその無限の可能性を引き出し、人生をより豊かに創造的に生きる手懸りになると確信する。乳がん克服後に離婚。ヒプノセラピーを本格的に学ぶ。子育てをしながら、多くの方が、自らを愛し、すべてを愛し、より豊かな人生を送っていただけるよう、少しでもお力になりたいという思いでヒプノセラピーを行っている。
尚、自己の経験を活かし、主に芸能関係などプレッシャーが強く、心のバランスを崩しやすい仕事をされている方向けの、自己暗示療法なども提供していきたいと思っている。
2007年11月には厚生労働省、舛添要一厚生労働大臣より「健康大使」を任命され、国民一人一人が健康の重要性を認識し、積極的に健康対策に取り組んでいただくために、全国各地で講演活動なども行っている。ナード・アロマテラピー協会アロマアドバイザーでもある。
Masumi's Blog(ブログ)を好評掲載中。自身の心の旅を描いた著書「至福へのとびら」(飛鳥新社刊:2003年)がある。